<今週の聖句 >
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
(ローマの信徒への手紙 5章3~4節)
<今週の奨励>
「生命の原点:健土健民」(村山昭二先生=前学校長)
黒澤酉蔵は1885年(明治18年)茨城県の小農家に生まれた。15歳の時に上京し、翌年より働きながら英語学校に通った。当時の日本は世界の列強国と追いつくために、銅で外貨を稼ぎ、足尾銅山に力を入れていた。足尾銅山は渡良瀬川の上流にあるが、銅山の鉱毒は渡良瀬川の氾濫のたびに大災害となり、農民は農作物の大きな被害を受けていた。国会議員だった田中正造は鉱毒問題をかかげ、農民救済のために力を尽くした。国会で政府の無為無策を追及し、被害民救済・銅山閉山を訴えた。1901年には国会議員を辞職し、群衆の中から駆け出して明治天皇に「お願いがございます」と大声で直訴した。
このとき黒澤酉蔵は17歳であったが、田中正造の行動に感動し、田中正造を訪ねた。田中正造は事件の真相や経緯を丁寧に教え、黒澤酉蔵はその正義感と人間愛、人格に胸を打たれ、「この人ならば一緒に命を投げすててもいい」と思い、どんなに苦労をしても虐げられた農民を救わなければならないと決意を固めた。黒澤酉蔵は、農民が他力に頼るばかりで、自力で問題を解決しようとしないことを重く受け止め、農民が自主的に団結して災害防止のために行動する必要があることから、村々から同士を集め「青年行動隊」を組織した。黒澤酉蔵は集会を開いたり、路上で演説会を行ったりした。
その結果、黒澤酉蔵は過激思想を持つ危険人物として投獄され、6か月の拘留生活を送ったが、その間に教育家潮田千勢子から聖書を送られた。





















