<今週の聖句>
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
(ヨハネによる福音書 20章22節)
<今週の奨励>
「神の息」(榮忍校長)
キリスト教の祝祭日で、日本においてもっともなじみのないものが、この「ペンテコステ(語源はギリシャ語の『50番目の』)」という日でしょう。もとはユダヤ教の収穫祭で、「過越しの祭」から50日目に祝われていた日です。
使徒言行録2章には、この祭の日に、部屋に閉じこもっていたイエスの弟子たちに『聖霊』が降り、祭のために各地からの巡礼者であふれているエルサレムの街に出て行き、神の救いについて、各国の言葉で語りだした、と記されています。
この時からキリスト教における「聖霊降臨日」という祝祭日の意味づけが加えられたのです。
ところで、今日の聖句には、復活のイエスが弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と語ります。どちらが本当なのでしょうか。どちらにも真実があるとされて、調整されないままに残された文書と見て良いでしょう。前後の表現を見ると、閉ざされた部屋に現れるイエスが、平和の挨拶をし、弟子たちを派遣する宣言に伴って息を吹きかけ、罪の許しの権限を与える、ことが記されています。
人々の中に出て行って、神の業・罪の許しを伝えること、それを成り立たせるのがイエスとの出会いと聖霊(=息)なのです。
さて、わたしたちはこのような聖霊を受けることが可能なのでしょうか。イエス・キリストが救い主として受け止められる時がその時だとパウロの手紙に触れられています。自分の努力への報いではなく、神の愛によって恵みの場に招かれることを謙虚に受け止める心に、道が示されるのです。自分の存在を安心して委ねられる関わりを、見つけたいものです。
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
(ヨハネによる福音書 20章22節)
<今週の奨励>
「神の息」(榮忍校長)
キリスト教の祝祭日で、日本においてもっともなじみのないものが、この「ペンテコステ(語源はギリシャ語の『50番目の』)」という日でしょう。もとはユダヤ教の収穫祭で、「過越しの祭」から50日目に祝われていた日です。
使徒言行録2章には、この祭の日に、部屋に閉じこもっていたイエスの弟子たちに『聖霊』が降り、祭のために各地からの巡礼者であふれているエルサレムの街に出て行き、神の救いについて、各国の言葉で語りだした、と記されています。
この時からキリスト教における「聖霊降臨日」という祝祭日の意味づけが加えられたのです。
ところで、今日の聖句には、復活のイエスが弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と語ります。どちらが本当なのでしょうか。どちらにも真実があるとされて、調整されないままに残された文書と見て良いでしょう。前後の表現を見ると、閉ざされた部屋に現れるイエスが、平和の挨拶をし、弟子たちを派遣する宣言に伴って息を吹きかけ、罪の許しの権限を与える、ことが記されています。
人々の中に出て行って、神の業・罪の許しを伝えること、それを成り立たせるのがイエスとの出会いと聖霊(=息)なのです。
さて、わたしたちはこのような聖霊を受けることが可能なのでしょうか。イエス・キリストが救い主として受け止められる時がその時だとパウロの手紙に触れられています。自分の努力への報いではなく、神の愛によって恵みの場に招かれることを謙虚に受け止める心に、道が示されるのです。自分の存在を安心して委ねられる関わりを、見つけたいものです。





















