2009年7月アーカイブ
<今週の聖句 >
ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」
( 使徒言行録 5章29節 )
<今週の奨励>
「神から出たものか否か」(榮忍学校長)
学校祭も終わり、いよいよ明日から夏休みになります。春からの4ヶ月、この学年における自らの学びと経験を確認してください。
人に注意をするのは、なかなか難しい面があります。互いの関わりが壊れてしまう危険を感じながら、それでも言わねばならないこととして注意をする思いを、聞く側はどれだけ受け止めているでしょう。余計なことだ、と受け流してしまうことも多く、自分を守るために反発してくることもあります。
聖書に記される主イエスの言動も、伝道を始めた弟子・使徒たちの言動も、当時の社会には刺激的なものでした。伝統に縁取られた考え方、生き方、社会的な暗黙の了解などに、新たな視点を示し、変革を迫ることになったからです。
使徒言行録の一部を読みました。前後の流れを確認し、人物の構図を思い描きながら読み直してください。人間の心の動きは、時代を超えて同様に見えるものが多くあることが分かります。だからこそ、聖書は変わることなく受け継がれてきたのです。
社会的立場を背景に使徒たちの活動を制限しようとする者たちに対し、民衆の支持と内面の確信によって使徒たちは立ち向かいます。その根底にあるのが、少し前の段落にある29節の言葉です。キリストの真理に触れ、自分がどれほどの喜びに満たされ、また生きる力を与えられたかが伺えます。ここに現されているのと同じ真の力は、わたしたちにも用意されているものなのです。
<今週の聖句>
「 この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。 」
( コロサイの信徒への手紙 3章15節 )
<今週の奨励>
「感謝の中で」(肥田信長宗教主任)
4月から生徒会が中心となって、クラスやクラブが協力して、一般公開の日を迎えることができました。自分自身が高校生だった頃の学校祭はここまで頑張っていたのかと思うほど、とわの森三愛高校の学校祭は細かいところまで時間をかけて一生懸命に準備に取り組んでいるように感じます。
今年度の学校祭のテーマは「 奏 ~響かせよう永遠の音色~」です。
最近、癒しの音楽が様々な場所で使われているようにも感じます。音を区別する言葉として、楽音(がくおん)と噪音(そうおん)に分けることができるそうです。簡単に言うなら、心地よい音とそうでない音に分けることができます。
今日の聖書の中には、「招かれて一つの体となった」と書かれています。ばらばらになると生きることができない体のように、私たちは招かれて1つの学校に集められています。他人の考えと自分の考えとの違いがあると、なかなか違いを受け入れることが難しく感じてしまうこともあります。しかし、よく考えてみると、違う場所で違う時間を過ごしてきた者が同じ考えを持っているということはありえないのです。
違う考えのものが一つの場所に集められている。一人ひとりがお互い違う考えを受け入れるからこそ、奏でたものがハーモニーとなって新しく生まれてきます。お互いの違いを感謝の気持ちを持って受け入れあい、素晴らしいものとして生み出されたものを、今日これからこの学校に来ていただくゲストの方々に喜んでいただける学校祭にしたいものです。
<今週の聖句>
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった。」
( 創世記12章4節 )
<今週の奨励>
「 信じること 」(池 田淳郎先生)
「信じる」ということについて、聖書にはアブラムという人の話が書かれています。
アブラムは、あるとき一家でカナン地方(現在のパレスチナ)に移り住むことにして、メソポタミア地方(現在のイラク南部)を出発しました。しかし、彼の父は途中のハランという町に住み着いてしまい、そこで死んでしまいました。見知らぬ土地に住みながら、知り合いも頼れる人もいないし、高齢にもかかわらず子どももいない――そんな不幸で絶望的な状況の中、アブラムは神様から、ただ「わたしが示す地に行きなさい」と語りかけられました。そして、アブラムは行き先も知らずに出発したのです。
「信じる」ということは、これと同じようなことだと思います。言葉で具体的な説明がなくても、物で証拠がなくても、保障がなくても、相手の言った言葉だけで、相手を信じるのです。一瞬疑ってしまう自分がいても、それを捨てて、勇気を持って一歩踏み出すことです。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(ヘブライ人への手紙11章1節)
もちろん、信じられるには、ある程度の時間とコミュニケーションが必要です。小さなすれ違いや誤解があっても、その溝を埋め、強い信頼関係を築いていってほしいと思います。
<今週の聖句>
これを見たシモン・ペトロはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです」と言った。
( ルカによる福音書 5章8節 )
<今週の奨励>
「響きあう関わり」(榮忍校長)
高校時代の授業の一こまとして覚えているのは、国語の時間に語句の理解を問われたときのことです。担当の教師から文中にあった「演繹」とはどのような意味かを問われ、何度か対話しつつ自分の語彙に加わったのですが、問われたときには説明する言葉が見つからずに往生しました。予想外の質問や出来事は、どぎまぎしてしまうものですが、内実が見えてくるとしっかり心に刻まれるものです。
ペトロは漁師です。その経験の中で、自分の魚場での出来事には熟知していたはずです。ところが、自分の経験則の通用しない事態に直面しました。しかも、失意の中で解決が示されたのは、漁については素人同然のイエスからでした。つまり、主イエスの指示は、ペトロには聴くに値しないものでしかなかったのです。ところが、その言葉が実を伴うものであることを見、驚きの中で不意に彼は自分の思い上がりに気付くのです。口をついて出た言葉が上に引用した8節です。
わたしたちは、形は違ってもこのペトロのように、自分の経験の中で、聞くべきものと聞かなくても良いものを振り分けていますが、その判断の過ちに気付くときにこそ、大きな転機があるのです。
今年、学校祭のテーマが「奏」と聞きました。この機会に、自らの奏でる音、他の誰にも出せない独自の音が何かを探して欲しいと思います。そのためにも、自分に向けられている言葉、関わりを作ろうとする呼びかけに応じる心を整えて欲しいのです。
そこに、神の導きがあるように共に祈りましょう。
6月30日(火)酪農学園大学との高大連携プログラムとして、2年生対象の「酪農学園講義体験」が行われました。
はじめに、生命環境学科の吉田先生から、大学での研究の特徴を高校の勉強と比較してわかりやすく説明していただいた後、合計17講座の中から各自が希望する講義を2講座受講しました。
生徒たちは、大学の先生のバラエティー溢れる講義に熱中していました。
講義の後は、キャンパス内のきれいな芝生の上で、酪農学園特製のアイスクリームをいただきました。
<講座名の一部>
○「椎間板ヘルニア、なぜ歩けなくなるのか?」
~獣医学科(上野先生)
○「賢い消費者になるために~あなたはPB派それともNB派
-カップラーメン等を事例に-」
~食品流通学科(鈴木先生)
○「食肉製品ができるまで」
~食品科学科(舩津先生)
○「平和って何だろう?-フィリピンで僕らが体験したこと、全て話します!」
~地域環境学科(藤井先生、押谷先生)
○「星くずから月の生まれるようすを見てみよう」
~環境マネジメント学科(篠崎先生)





















