学校礼拝~夏休み明け礼拝~(第18回)
<今週の聖句>
わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
( コリントの信徒への手紙二 4章8~9節 )
<今週の奨励>
「 成功を求める思い 」(榮 忍 学校長)
学校から離れての諸活動は、充実したものだったでしょうか。あらためて共に学びを進めましょう。
キリスト教を基盤におく学校は、礼拝と聖書を学ぶことがその特徴です。そこには、多くの逆説が記されます。イエスの死が敗北ではなく勝利であるとか、裁かれたイエスこそが裁く権威を持っているとか、並べていくと興味深いものに出会えると思います。今日の箇所もその一つです。
人の目から見るならば困難や苦しみの状況であっても、イエスが共にいてくださることを信じている者には、なお希望につながる道であることを告げています。イエスによって与えられた「神の憐れみによる罪の赦し」という「宝」を、朽ちる肉体=「土の器」に納めている、と語り、素晴らしいものをいただいているが、受け止めている器は朽ちるものでしかないのです。永遠に生き続ける人間はいません。皆、土に帰るのです。人間の命は、わずかな限られた期間しかないのです。その僅かな期間を、どのように活かすのかは、それぞれの気付きと覚悟の問題です。
今、日本の社会自体が判断基準を見失い、悲しく残念な事件が後を絶ちません。背景には、宗教的なもの(人の手の及ばない至高の存在・考えなど)への敬意の欠如がある、とわたしは考えます。皆さんはどうでしょう。本当に尊い宝が自分の内にはある、と感じていますか? 自分自身がちっぽけであっても、その尊い宝を知っていれば、人生の尊さや、生きる喜びにも目が開かれていくものであると確信しています。





















