学校礼拝(第38回)
<今週の聖句>
「 卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身を全ての人の良心にゆだねます。 」
(コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章2節)
<今週の奨励>
「 心に刻む良心 」(肥田 信長 宗教主任)
今日の聖書の中には、なかなか聞きなれない言葉が出てきます。“良心”という言葉です。私自身はこの“良心”という言葉を中学1年生の時に初めて知り、そして学びはじめました。
私は、中学校から大学院まで同志社で学びました。その同志社の建学の精神は、創立者である新島襄の『良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ』という言葉です。この言葉は、勉強だけではなく、全身からわき上がってくる良心を周りに流されることなく行動に移せる人物を育てたいとの強い思いを感じます。
新島襄は、同志社という学校をどのような学校にしていきたいかという事を次のように述べています。『我が校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、實業(実業)家になるもよし、教育家になるもよし、文學者になるもよし。かつ少々角あるも可、奇骨あるも可、ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟くも姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み偏に希ふ(願う)ところである。』その新島襄は、122年前の1890年1月23日に、現在の神奈川県で亡くなります。
私たちは、神さまがチャンスを与えて下さった中でこの世に命が与えられています。そして、一人ひとりにピッタリの異なった賜物を与えて下さっています。その賜物をどのように使っていくのかを自分の心に刻んだ良心に照らし合わせてみながら、安逸を貪らない生き方を探し求めて生きたいものです。





















