【日曜メッセージ】「なぜ?」

Date:2021.02.21

「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

( ヨハネによる福音書 9章3節)

道内での新型コロナウイルス感染者が出てから、もう1年がたちました。今までの当たり前が通用しない苦しい日々の中で、神様がいるなら「なぜ」こんなことが起きるのか?と疑問に思った人もいるのではないでしょうか。この問いは、実はいろいろな災害が起きたときによく出てくる問いです。海外だと「コロナウイルスは人類の罪のせいだ」と言ったりする人も出てきます。でも、聖書にはそういうことは書かれていません。

今日の聖書の箇所は、まさしく今、私たちが感じている問いと同じ問いをイエス様にしたシーンが書かれています。弟子たちは、生まれつき目の見えない人を見て、この人がこうなったのはなぜかと、イエス様に問いかけました。このことが起きた理由は何ですか?と問う時、私たちも、自分たちの罪が原因なんじゃないかと考えてしまいます。

でも、気をつけてほしいのです。「悪いことをしたから、その罰として災いがその人に降りかかったのだ」という考え方は間違いです。災いはそんなことが原因で起こるのではありません。間違った因果関係をもとに自分や他人を非難する考え方は、とても危険な偏見や差別を生む芽となります。この新型コロナの出来事もそうです。かかった人を責めることも、かかってしまった自分を責めることも間違っています。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」とイエス様が言われた通りです。

聖書はたびたび人類の不幸を記します。しかし、多くの人々は、「なぜ」ではなく、この時、「どうしたらいいのだろうか」ということを考えてきたのです。神の御国に進むには、そこから私たちは何をするべきなのか、どうしたらいいのかを、聖書に登場する人たちは問いかけたのだと思います。神がなさることの深い理由を、私たちはまだ知り切ることができないのですから。

コロナに限らず非常に厳しく、大変な状況の中ですが、辛く、苦しいだけで終わらない何かを見つけるチャンスを神様から与えられていると、聖書を通して気づいてほしいのです。皆さんにはそのような希望を持って人生を歩んでもらいたいと願っています。皆さんの歩みが神様によって豊かなものとなりますようにお祈りしています。

(教諭 西川 謙)