【日曜メッセージ】「 良い知らせを伝える 」

Date:2023.07.23

「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。

(ローマの信徒への手紙10章15節b)

3日間の学校祭、そして長い長い準備期間もあわせて、お疲れさまでした。学校祭で一人一人の役割を果たし、生徒会の一員として全体で盛り上げ、成し遂げた皆さん、本当に素晴らしい活躍だったと思います。いよいよ夏休みを迎えます。ここまでは学校中心の生活の中、仲間と一緒に、一緒の目標を目指した場所で過ごしてきたわけです。そしてここからは、それぞれに目的・目標をもって過ごす別々な場所へと、ひと時の間、散らされていきます。

私たちは学校で一緒に培ったものを、今度は学校を代表して、広くかかわる人たちに、家庭に、地域に、社会に、世界に持っていく役割を果たすことになるわけです。この役割を与えられるのは神なのだと聖書は教えています。神によって、皆さんはそれぞれの場所に目的をもって「遣わされる」ことになるのです。私たちが学校で、家庭で、日々成長し学んでいることの究極の目的は、この「遣わされる時」に備えることにあると言っても過言ではありません。自分の行きたいところに、それも誰かに願われて出かけていくことができるならこんなにうれしいことはありません。一方で、自分はいきたくないところに、場合によってはどうしても、強いられて、やむを得ず出かけていかなければならないこともあるかも知れません。そのどちらも「遣わされる」ことなのです。そこであなたが関わる人たちに、言葉でも、行いでも、役立つことを実現するため、あなたは神から大いに期待されるのです。

聖書は、キリストの救いのメッセージを良い知らせ、すなわち「福音」として語ります。皆さんはその「福音」を聞き、聖書の言葉を聞く一人一人です。その中であなたは自らの生き方を考え、問いながら過ごしています。そこで得た思いと使命感をもって、それぞれの「遣わされる」場所での役割を見つけていくことになるのです。「遣わされる」場所、そこであなたが実践できることは何でしょうか。「愛」の実践、「三愛」の実践がそうだと言えるでしょう。また、学校祭において目指した「Be The Best」であることもそうです。あなたの成長したその姿は、必ずや素晴らしいメッセージとなって多くの人たちに伝わる何かを持っています。それは、聖書の言葉によって語り掛けられ、気づきを与えられた生き方を含むものであるのです。

良い知らせを伝える者の足、その美しさ、素晴らしさを実現する人として、この夏休みを過ごしてください。

(宗教部長 久保木 崇)