【日曜メッセージ】「 何回赦すべきでしょうか 」

Date:2024.11.10

イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」         

(マタイによる福音書18章22節)

 皆さんは『赦された』ときの喜び、感謝と安心感を経験したことがあると思います。『赦し』は愛の行為の中で、とても大切なことであります。それでは逆に、誰かを『赦した』経験はどうでしょうか。

 主イエス・キリストは、ペトロの『赦し』の問いかけに、赦された人の『赦し』を教えます。ペトロが主イエスに「兄弟が私に対して罪を犯したら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というと、主イエスは「七を七十倍までも赦しなさい。」と答えます。七回とはペトロにとっては精一杯のこと、このぐらいなら完全だと思って問いかけたのですが、主イエスの答えはその七十倍との答えだったのです。同じ人が同じ誤りや迷惑をかけたら、あなたは何度赦せますか。私たちは七回だって赦すことが出来ません。

 人間関係の中では、喧嘩をして仲が悪くなることもありますし、なぜか自分とは気が合わない人もいます。もしくは、自分だけが偉いのだと思う人など、多様な人がいるので大変難しいです。友人関係だけではなくて、家族関係、先生と生徒の関係なども同じでしょう。場合によっては、距離を置いたり、無視したり、あるいは敵対してしまい、仲良くなることは出来なくなってしまうことすらあるのです。

 英語の“Forgive”はなぜ『赦す、許す、帳消しにする』という意味なのか。この単語はfor(完全に)+give(与える)の組み合わせなのです。つまり、完全に与えるということです。

 聖書は、主イエスが十字架の死によってあらわされた完全な赦しを伝えているのです。何よりも主イエスが私たちのすべての罪を十字架上で帳消しにしてくださった愛を覚えて、同じように「赦しなさい」と言うのです。その赦しを経験する人たちは、お互いに一生の兄弟、親友になるに違いないでしょう。さあ、「何回赦す」べきでしょうか。 互いに赦し合い皆が喜び、感謝と安心感のある学校生活になりますように。

(酪農学園宗教主事 朴 美愛)