【日曜メッセージ】「『愛』をもって行動すること」

Date:2025.05.18

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」…(中略)…「行って、あなたも同じようにしなさい。」

(ルカによる福音書10章28節・37節)

 

 今日の「善いサマリア人」の聖書箇所は、イエス・キリストがたとえ話を使って、大切なことを伝えようとした物語です。今日は3つのポイントに注目しましょう。第一は、この話が正しい答えを知っている人への教えであるということです。第二は、その正しさを、行わない人と行う人がいる、ということです。そして第三に、正しいことを行う人の行動は、最大限の行いであるということです。

 この聖書の記事に実際に登場する人物は、イエスに質問する律法の専門家です。まさに正しい答えを知っている人物でした。答えを知っていることが重要なのではないのです。もっと重要なことがその先に「行う」ということがあることに気づく必要があります。正しく答えることができるほどのこの人物が、正しいことを行っていた人であるかどうかを、聖書は明らかにはしていません。あなたはどう思いますか。

 次に、たとえ話の中に登場する人物に目を向けましょう。3人の人は、行う人と行わない人に分けられます。たとえ話ですから、介抱したかどうかという点だけではなく、その中に込められる意味を深めて考える必要があります。そこで必要とされていることを行ったかどうかが問われていると言えるのではないでしょうか。あなたは、必要とされることに気づき、そのことを行う人ですか。

 そして最後に、善いサマリア人によって示される行動の内容に注目しましょう。彼に躊躇はないのです。敵対する者のため(瀕死の旅人であるユダヤ人と、サマリア人は差別、対立の事情を抱え、一切交流しない相手でした)にすら犠牲を払う行動をするのです。それも、できる限りを尽くすのです。とりあえずではなく、愛をもってできることはすべて実践するのです。最後まで、先々までの必要を思って、実行する。イエスはこのたとえ話を語った上で、「行って、あなたも同じようにしなさい」と、言われたのでした。

「愛」なくしてこの実践は起こらないのです。勘違いしてはいけません。聖書は、愛のある人と愛のない人を区別する力をあなたに求めているのではありません。神の愛(キリストの愛)を受ける私たちは、その愛に突き動かされて行動する、「三愛主義」実践者として選ばれているのです。さあ、行って、私たちも同じように神からの愛を受けるものとして行動しようではありませんか。

(宗教主任 久保木 崇)