【日曜メッセージ】「愛によって互いに仕える自由 」

Date:2025.05.25

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。・・・(中略)・・・愛によって互いに仕えなさい。

(ガラテヤの信徒への手紙5章13節抜粋)

 あなたにとっての自由とは何ですか。それは何からの自由ですか。圧迫・抑圧・迫害からの自由でしょうか。いや、そんなに難しいことを考えなくても、自分の意志で、自分の思うように判断し、行動し、生きることが自由だと思っているでしょうか。人権を重んじる時代を生きる私たちにとって、その自由は当然のことなのかもしれません。しかし、聖書は、自由が間違ったものと結びつくことがある、それは自由ではなく、人間が利己的、自己中心という罪の奴隷となっていると警告します。

 本当に自由であるかを確認するための大切な観点は、何から自由であるかというだけではなく、同時に自由を何に用いるのか(何のための自由か)を問うことによってわかります。その自由が誰かの自由を奪ったり、自己完結や自己都合だけで終わるならば、それは本当の自由ではなく、自己満足に終わってしまうのです。では、せっかくの自由を制限するのでしょうか、何かのルールで縛るのでしょうか、誰かに監視されたり、強制されたりする必要があるでしょうか。旧約聖書の時代には律法がその役割を果たすと考えられていました。人間が神に対して罪を犯すことがないように、自分を律する神の掟でした。しかし、人間はこの律法を、まさに人間の自由によって破り、神に背き続けたのです。その行きつくところは神の裁きであり、滅びと死だと聖書は警告するのです。

 だから神は、愛による救いを実現されました。それがイエス・キリストの十字架、そして復活なのです。それは私たちに与えられる神の愛なのです。その愛こそが、私たちに愛を実践する自由を与えるのです。束縛する掟ではなく、自由にする神の新しい約束です。その愛は、互いを大切にし、必要とし、尊重し合い、共に生きることを実現する自由なのです。「愛によって互いに仕える自由」に生きる喜びを味わいたいと思います。

(宗教主任 久保木 崇)