【日曜メッセージ】「誰に何を願うのか」

Date:2026.01.18

 新しい年を迎え、学校礼拝から学校生活がスタートしました。本日はその新年初めの学校礼拝メッセージからお届けします。

 

主を畏れることは知恵の初め。

無知な者は知恵をも諭しをも侮る。(箴言1章7節)

 

 2026年を迎えました。21世紀の4分の1が歴史となって刻まれ、そこに続く新たな未来に対して私たちは責任を担って、一歩また一歩と進んでいきます。今年を良い一年としていくために、私たちが考えるべきことを考え、するべきことをしていきましょう。そして、三愛精神と健土健民の実現を一人一人の人生に、そしてこの社会に実現できる人となっていきましょう。

 新しい一年を始めるにあたり、皆さんはどのような希望や抱負を持っていますか。私たちはこの新たな節目に、自分を見つめなおし、自分を成長させていくための課題を見出し、成長を実現させるための努力を始めます。それは決して平坦な道ではないでしょう。時には壁にぶつかったり、困難に悩んだり、試練に苦しんだりする時もあるに違いありません。今日の聖書はそれでも「いろいろな試練に出会う時は、この上ない喜びと思いなさい。」と教えます。その時にこそ、神を頼ることを教えているのです。その壁、困難、試練の意味と必要を知っておられる神に頼るのです。耐え忍ぶ者にこそ、神の導きがあるとの約束が与えられているのです。

 しかし、その意味や必要をなかなか理解しないのが私たち人間です。私たちの願いはたくさんあります。そのほとんどは自分都合の願いです。自分に不都合なことを願う人はいません。でも、神の視点は違います。一番必要で、一番良いものを与えてくださるのが神です。その深い意味を知るためには、知恵が必要です。ヤコブの手紙の指摘する「知恵のかけている人」とは、知識や能力がない人のことではありません。この知恵とは「神による知恵」。私たちが、本当に必要なものを見出すための知恵、物事の真実の意味を知るための知恵なのです。知恵のはじめは神を知り、神を畏れることだと聖書は教えています。神からの知恵を必要とするならば、信じて求めなさい、そうすれば必ず与えられる、この神の知恵に拠り所を持つとき、私たちは全く違う見方をすることができるのです。一年の初め、神に知恵を願い求めて、生き方を見つめ直してみましょう。そこにこそ、神の最善と祝福が約束されているのです。

(宗教主任 久保木 崇)