【日曜メッセージ】「 戦争の前で、教育は無力か? 」(朝のショート礼拝)

Date:2026.09.06

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 

彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。

ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」

   (イザヤ書2章4、5節)

 終戦から81年が経ち、日本国内で戦争を経験した世代は総人口の約1割まで減少しています。特に終戦時に成人していた世代は全体のわずか数%未満となり、戦争を知る人々は非常に少なくなっています。しかし、戦争の傷跡は決して消えてはいません。生き残った罪悪感から笑顔を失った元兵士や、戦友の遺族に形見を届けた人々の深い心の傷に思いを馳せるとき、戦争体験者が当時を語る「語り部」の活動には多大な勇気が必要だったと分かります。一方で、終戦の日などの歴史的な知識を正しく答えることができない若者が増えているという報道をを見るたびに、何とも複雑な気持ちになります。

 現在、世界ではウクライナや中東での紛争が続いており、命や建物の破壊、避難民の苦しみが絶えません。日本でもスナック菓子の包装に変化が出るなど、じわじわと国際紛争の影響が忍び寄っていることは皆さんもご存知のとおりです。こうした厳しい現実を前に、ふと教育は無力なのかと考えてしまいますが、やはりそこは無力ではないと信じています。  

 本校のキリスト教精神に基づく「神を愛し、人を愛し、土を愛する」という建学の精神は、武器ではなく人を創っています。神に愛されている者として互いに愛し許し合うこと、命を育む土を大切にするという考えは、今日の聖書箇所にあるように、自分の持てる力を、人を傷つけるためではなく、人を活かすための力へと変えることに通じているのです。

 教育で培った知識や言葉は、人を傷つけるためではなく、相手を理解し、弱い人を思いやり、社会をより良くするためにこそ用いられるべきです。私たちが今受けている教育が、一人一人の心を育て、正しい判断力を養い、未来の社会の平和へとつながることを信じ、心から祈りたいと思います。

(通信制課程教頭 家山 麻希)