【日曜メッセージ】「平和 ‐ 誰一人欠けないこと」(特別礼拝・平和礼拝Ⅱ)
Date:2026.09.13
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」
(ルカによる福音書15章4節)
酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校の皆さん、おはようございます。本日、この平和礼拝をご一緒できることを嬉しく思います。
立教大学の信仰的基盤である聖公会には、「Via Media(中道)」という言葉があります。これは単なる「中間」を意味するのではなく、異なる人々が互いの違いを抱えながら共に生き、愛や正義という真理を探し続ける歩みを表しています。私は、この姿勢こそ平和を考える上で大切だと思います。
平和とは、皆が同じになることではありません。違う者同士が互いを認め、耳を傾け、共に生きていくことです。そのために、自分にとって大切な人や場所、夢や宝物を思い浮かべ、それらを失う悲しみを想像してみてください。平和について考えるとは、失われる痛みに心を寄せることから始まるのです。
聖書は平和を「シャローム」と呼びます。それは単に争いがない状態ではなく、「誰一人欠けることのない満たされた状態」を意味します。イエスの「見失った羊」のたとえは、そのことを教えています。羊飼いは九十九匹が居ても、一匹を失ったままを良しとされず、探しに出かけます。平和とは、「一人くらい居なくても仕方がない」と考えないことなのです。
神は、一人ひとりをかけがえのない存在として愛しておられます。だからこそ、傷ついた人、排除された人、居場所を失った人を探し出し、その尊厳を回復しようとされます。私たちもまた、誰かを評価することと、その人を否定することを混同してはならないと考えます。
今日歌う立教大学聖歌隊の合唱も、平和の姿を示しています。高い声も低い声も、それぞれ異なる声が響き合うことで豊かな音楽が生まれます。平和も同じです。違う者が違うまま共に生きること、その中で欠けている一人に気づき、その声に耳を傾けることが大切です。
どうか、「失いたくない」と願う大切なものを心に留めてください。そして、自分の周りに「居なくてもよい」とされている人がいないかを見つめてください。平和とは完成された状態ではなく、誰一人欠けてほしくないと願い、そのために歩み続ける生き方なのだと信じます。
(立教大学主務チャプレン・日本聖公会司祭 ニコラス 中川 英樹)



※ 平和礼拝Ⅱでは、立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊の皆さんに特別讃美をしていただきました。ありがとうございました。
※ 奏楽のご奉仕を立教大学オルガニストでいらっしゃる遠藤 陽平 氏にご担当いただきました。ありがとうございました。