【日曜メッセージ】「恥取物語」(アドヴェントⅠ礼拝)

Date:2020.12.06

「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

(新約聖書 ルカによる福音書1章25節)

最初のろうそくが灯されました。アドヴェントはアドベンチャーの語源となったと言われます。神様と共に歩み様々な冒険をした多くの人を覚えます。アフガニスタンでペシャワール会代表として活躍した中村哲医師が、銃撃で亡くなって間もなく一年になります。中村医師は少年時代、全盲の藤井牧師から洗礼を受け、この先生のように社会のために頑張りたいとの志を得たのであります。藤井牧師の生涯にもヘレンケラーとの出会いがあります。中村医師は、人々の生活基盤を整えるために異教の地で尽力し、井戸や用水路の建設に挑み、神様に委ねてキリストと共にその生涯を歩んだのでした。

今日の聖書は、キリストのご降誕の前に子のない老夫婦を記します。夫は神殿祭司で「神の前に正しく…非の打ちどころなし」と記されるほどの人でしたが、公の祭儀の最中、こっそりと子が与えられる事を祈る姿がありました。子どものない夫婦に「お子さんはまだですか」は辛い言葉。信仰の父アブラハムもそれで悩みます。老夫婦の辛さは「恥」の言葉に表現されます。「誹謗、中傷、非難、不名誉」とも訳せる言葉です。どんなに冷たい視線に晒されても誠実に歩む老夫婦なのでした。マザーテレサは「この世の最大の不幸は貧しさや病ではない。そのことによって見捨てられ、誰からも自分は必要とされていないことを感じること」と言います。神は老夫婦の祈りを忘れませんでした。人々に無視され、陰で笑い者とされる辛さに寄り添い、神が必要とする大切な使命を老夫婦に示されるのです。

今日の題には次のように加えたいのです。「大冒険の恥取物語」。神は老夫婦の恥を取り、悩むマリヤを励ます役割も与えます。生まれた子はイエスに洗礼を授けた、あのバプテスマのヨハネなのです。そのキリストも家畜小屋の飼い葉桶で生まれたのでした。山口出身の詩人・中原中也は聖書に触れ「幸せは、うまやの中に居る、わらの上に…」と詠いました。クリスマスはインマヌエル(神は我らと共にいます)の出来事です。アドヴェントのこの時、神様の「大冒険」の計画、人びとの深い闇に輝く神の光、罪も恥も取り去って、恵みと祝福に変える十字架の主イエスの飼い葉桶のご降誕の出来事を覚えたいのです。

(福島 義人 日本キリスト教団野幌教会牧師)