【日曜メッセージ】「人の子は何ものなので」

Date:2021.03.14

「 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。」

(詩編8編4~5節)

「3.11東日本大震災」から10年を迎えました。10年前の3月11日14時46分、最大震度7、津波は瓦礫と油と汚物で異臭を放ち真っ黒。巻き込まれたなら、泳ぐどころか何十トンもの瓦礫に潰されてしまいます。犠牲となった方々は18000人以上、今も何万人もの方が、故郷に戻ることができずにいます。

生き残った当時小学生だった女性は、学校に押し寄せる黒い津波を前に、皆を励まそうと、ただ夢中で歌い続けたと聞きます。行方不明の娘の遺骨を海岸や山林で探し続ける父親の姿があります。岩手県の大槌町の三陸海岸を見渡す丘の上には線のつながっていない電話ボックスがあります。その「風の電話」で天国の大切な人に語りかけ、涙する人の姿は今も絶えません。26年前の阪神淡路大震災の時も、「あの日から神を信じる事はやめました」という言葉を私は聞きました。今も慰めの言葉を見つけることができません。

復興に向けて笑顔で語る人々の姿を見ます。それは、沖縄戦の高齢の語り部が集団自決の悲惨な話を笑いながら語る姿と同じです。どうしてでしょうか。ある人は言います、「彼女らは70年間ずっと泣き続けてきたのですから、もう笑うしかないのです」と。極限の悲しみの前に牧師も無力です。ただお話を聞き、一緒にうろうろと立ち尽くしながら祈るだけです。

理不尽で残酷な出来事を前に「歌」が人々の心を慰め励ましてきました。キリスト教がユダヤ教から引き継いだ大切な事がらとして、共に集まり神に歌を献げる事があります。それが詩編の150編に及ぶ歌です。宗教改革者のルターにとって、絶望の中で心を支えたのは詩編118編でした。理不尽な出来事を前に、詩編8篇は「人間は何ものなのでしょう」と、神が与えた命を生きる意味を問いかけます。正解はありません。一人一人が神様の御心に重ね合わせて考えることを求めているのです。そして様々な試練に遭ったときに、聖書の言葉に出会ってほしいと思うのです。3.11東日本大震災を覚え、讃美歌21-533番「どんなときでも」を歌い、祈りをささげましょう。

どんなときでも、どんなときでも

苦しみにまけず、くじけてはならない。

イエスさまの、イエスさまの愛を信じて。

どんなときでも、どんなときでも

しあわせをのぞみ、くじけてはならない。

イエスさまの、イエスさまの愛があるから。

(日本基督教団野幌教会牧師 福島 義人)