【日曜メッセージ】「十字架、神の愛のしるし」(受難週メッセージ)

Date:2021.03.28

「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」            

(ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節)

今週は受難週です。今から約1990年前の紀元33年頃、イエス・キリストが、神を冒涜したかどで当時最も重い刑と言われる十字架刑に処せられ死なれたことを記念する週です。古代ローマ帝国の歴史家タキトゥスも、その著書『年代記』の中で、「キリストは、この呼び名は彼自身が起源だが、ティベリウス帝の治世に、我々ローマの行政官であるポンテオ・ピラトの手で極刑に処された。」と記しています。この歴史の上でおきた一つの出来事は私たちにとってどのような意味があるのでしょうか。

弟子の一人であるヨハネは、新約聖書の中で次のように語ります。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子(イエス・キリスト)をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙Ⅰ4章10節)弟子たちは、イエス・キリストは神から遣わされ、その十字架上の死は、自分たちの罪を償う身代わりの死であった、と確信します。さらに、「この方(イエス・キリスト)こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(同 2章2節)とあります。イエス・キリストの十字架上の死は、全世界のすべての人の罪を償うもので、そのことを信じるならば、誰でも罪が赦され、全く新しくされる。これが、キリスト教の中心的教えとなり、全世界に拡大していきました。

私たちは確かに、何が善であるかを理解していても、それをなし得ない弱さを経験します。生まれながら持っている自己中心的な性質によって、様々な過ちを犯してしまいます。そのために人間関係を悪化させてしまい、多くの悩みを抱えて生きているのではないでしょうか。このような私たちの不幸な原因を、生来持っている人間の「罪」であると、聖書は言います。そして、神は私たち人間を愛するゆえに、自ら人となり十字架で身代わりの死を遂げ、私たちの「罪」を赦してくださった、と語ります。イエス・キリストの十字架は、私たちへの神の愛のしるしなのです。

受難週を迎え、改めて自分自身を見つめ、十字架を見上げて、神の愛を受け入れ、神様によって心を新たにしていただきましょう。

(宗教部長 渡邊 淳)