【日曜メッセージ】「 正義は常に善か?」
Date:2021.06.27
「 正義は常に善か? ~みんな違って、みんないい~(いじめ撲滅に向けて) 」
「 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 」
(マタイによる福音書22章39節)
今日はみなさんと「正義は常に善か?」ということを通して、「いじめは許さない!」という気持ちになってもらいたいと思います。先に言っておきますが、いじめは絶対にダメです。いじめは許しません。いじめは、いじめる側が絶対的に悪いです。このことを前提として、お話します。
「ホンマでっかTV」というテレビ番組によく出演されている、脳科学者の中野信子さんは、著書で次のように述べています。「いじめのはじまりは、多くは『間違っている人を正す』という気持ちから発生します。『お前は間違っているだろう!』という気持ちで制裁し、『自分は正しいことをしている』と感じることで快感を得るのです。いじめている側の、自分は正義であるという思い込みは絶対で、自分の行動を正当化し、相手を攻め、追い込んでいくのです。」
「正義感」をもつこと自体は問題ありませんし、正しい正義であれば良いと思います。しかし、それはときに「正義の暴走」や「歪んだ正義」となってしまう危険があることを、私たちは覚えておかなくてはならないと思うのです。
いじめを無くすことは難しいかもしれません。しかし、「多様性」つまり自分と違う人を受け入れ、一緒に行動する。聖書のいう「隣人愛」が、いじめを無くすための大きな一歩となると私は思います。
最後に歌を一曲紹介します。「ナイトdeライト」という札幌市で結成された4人組ロックバンドで、メンバーのうち3人が牧師の息子という異色のグループが歌う「AKA」(あか)という歌です。
「朱(あか)や青や緑 黄色 違うことで豊になる
間違いはないし 正解もない 染まれば落ち着くだけ
やめにしないか 違いを見つけ強者弱者を作り出すこと
どれもきれいで輝いているから
一つの光を浴びて 同じだけ愛を受けて」
自分と違う考えの人を受け入れることは難しいかもしれません。しかし、自分と「違う」、周りと「違う」ということには優劣は無いのです。聖書のいう「隣人愛」を実践できる人になってもらいたい、そのように願っています。
(生徒指導部長 新井 昭雄)