【日曜メッセージ】「 平和を追い求め 」

Date:2021.08.22

「すべての人との平和を、また聖なる生活を 追い求めよ」

(ヘブライ人への手紙12章14節)

 

本日、酪農学園の創始者黒澤酉蔵先生が野幌教会に寄贈した鐘をお持ちしました。教会の鐘は、聖書の福音(喜ばしき訪れ)を現します。鐘の音は結婚式は華やかに、葬儀は寂しく聞こえます。聞く人の心によるのでしょう。学校で用いられるチャイムは、ウェストミンスター寺院の鐘の音で、本来祈りの時を告げるものであります。先日、広島や長崎で原爆投下時間に合せ、鐘の鳴る中で人々の黙祷する姿がありました。毎年、広島では梵鐘、長崎では教会の鐘が鳴ります。原爆の犠牲になった沢山の人々を覚え、鎮魂と不戦の誓い、平和の祈りがささげられました。

76年前の8月6日月曜日の朝8時15分、キリスト教の広島女学院では生徒が講堂で朝の礼拝をし、教室へ戻る時でした。爆心地から1.2km。木造校舎は一瞬に潰され、熱線で燃え、長い廊下の焼け跡には女子高生の白骨が整列して続いていたと聞きます。礼拝の賛美歌の伴奏をしていた女子高生の白骨がグランドピアノの下にあったというのです。人々の幸せな生活も家族の歴史も夢も希望も未来も、全てを一瞬に奪うのが戦争です。

川は飲水を求めた皮膚が焼けた人の遺体で溢れ、助かった人も放射能の後遺症で次々に亡くなってゆく。沈黙の声を聞くことも聞くということです。語ることなく亡くなった人々の思いを聞き取り、戦争は二度と繰り返してはならないとの平和への決意を覚え、鐘の音を聞き、祈りを捧げるのです。

聖書は、互いに「聖なる生活を追い求めよ」と言います。それは争いが絶えない世界の中で、全ての人と平和に生きるためなのです。一人一人が心に神様を覚えて歩む中にこそ真の平和が来るし、そこに神を見る事が出来ると考えたのです。聖書の言う平和は一つの国だけの、ある限られた地域だけの平和ではなく、全ての人々にとっての本当の平和です。76年前の6日㈪広島、9日㈭長崎、15日㈮敗戦、そこに生きた人々が何を考え、何を託したのか、1分間、鐘の響きの中で祈りながら聞き取ってゆきたいのです。キリスト教の祈りは心を空にする時ではなく、様々な思いを聖書の神の心に重ねながら静かに聞く時です。

さて、どうすれば平和な世界となるのでしょうか。

― 教会の鐘を鳴らしつつ、1分間の黙祷 ―

 

( 日本基督教団野幌教会牧師 福島義人 )