【日曜メッセージ】 「 道ありき 」

Date:2021.09.19

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」    

(ヨハネによる福音書14章6節)

 

「道」と言う言葉には、いくつかの意味があります。普段私たちが歩いている道、何かの目的を果たすための方法、さらには「人生の道」と言うように人の生き方や道徳観を意味する場合もあります。

イエス様がご自分の行く道を語ると、弟子たちは理解することができず、別れを告げようとする先生のゆえに心を騒がしました。「どこへ行かれるのですか」と聞く弟子に、イエス様は「わたしは道である」と答えました。このように言われた背景には、イエス様が歩んできた道で出会った多くの人たちとの関りがあります。民族的社会的差別を受けていた女性、誰も助けようとしなかった病人、罪人扱いされてきた盲人、貧しい人々、そのような人たちにとって、イエス様は道、真理、命となっていました。イエス様は「道」であり、人々の人生と共に歩む方であると、そして私たちが歩く道そのものだと言うのです。そのことが聖書に示されているのです。

『道ありき』は、三浦綾子さんが神様に導かれた道をもとにした青春時代の自伝的な小説です。綾子さんは(1922年旭川市生まれ1999年逝去)1964年朝日新聞社1000万円懸賞小説に『氷点』が入選、一躍有名になった作家です。小学校教員を務めたが、終戦によりそれまでの自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、退職しました。その後、罪悪感と絶望の淵に落ちていた綾子さんに結核が発病、13年間の闘病生活が続く中で幼なじみの友の愛と影響によって聖書に出会い洗礼を受けました。

結婚後は夫の三浦光世氏に支えられ口述筆記で作家生活を続けました。その後も綾子さんは多臓器不全により亡くなるまで多くの病に苦しみ、闘いの人生の道でした。しかし、綾子さんは聖書からその苦しみは単なる苦しみで終わらず、もっと別な意味を持つことがわかったのでしょう。綾子さんは人々に神の愛を語り、生きる勇気と希望を与える100冊以上に及ぶ多数の作品を書きました。

コロナ過だけではなく様々な混乱が続く中で私たちが行くべき「道」はどこにあるのでしょうか。私たち、ひとり一人は真剣に考えてその道を歩かなければなりません。

求めるものに、探すものに歩くべき道は開かれるのです。その道を皆が共に歩みたいものです。

( 酪農学園宗教主事 朴 美愛 )