【日曜メッセージ】 「 落ち穂ひろい 」

Date:2021.09.26

《 収穫感謝礼拝 》

 「これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」

(レビ記19章9~10節)

秋の収穫の時を迎えました。江別市は現在ブロッコリーとレタスの生産が道内一でありますが、そこまでに至るには農家の方々の大変な苦労があったと聞きます。作物や家畜を育てるのには大変な努力を重ねる関係者の姿があります。

努力して収穫の恵みを得る。それを神様の恵みに感謝し、一部を神様に献げ、人々と分かち合う姿は世界中の宗教に見られます。以前、旅行で韓国のお寺で食べた食事を「供養」といい、無料だったことに驚いた記事を見ました。韓国の教会でも礼拝後に食事を共にします。無料です。経済的に豊かな人も貧しい人も分け隔てなく一緒に食べます。食を共にして労をねぎらい、感謝をもって次の収穫へと歩み始めるのです。教会では食事を供養とは言いませんが、その心は同じなのかもしれません。

今日の聖書の箇所は収穫を前にして考えるべきことが記されています。神様の恵みを独り占めにしていいのだろうか。そのことを今一度深く考えるべきことを教えているのです。貧しくされた人々を覚え、神の恵みを分かち合ってこそ神様が喜ばれることが記されます。それがレビ記の精神であり、新約聖書に受け継がれているのです。

フランスの画家ミレーの作品に『落ち穂ひろい』があります。彼は絵描きとしてスランプに陥った時に、友人から田舎バルビゾン村に行く事を勧められます。そこで貧しい人々が畑に残された「落ち穂」を拾って一日の糧とする場面を見るのです。敬虔な信仰をもつ畑の持ち主は、貧しい人々のことを覚え、麦を多めに残すのです。ミレー自身クリスチャンとして、小さなころから聖書に親しんでいました。当時コレラが大流行していた都パリ、その殺伐とした人の心に疲れを覚えたミレーは、このバルビゾン村に今も聖書に生きる人々を見て感動し、画家としての再起を果たしてゆくのでした。

「収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。・・・これらは貧しいものや寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。」とレビ記にあります。ここに収穫に際しての神様の心が記されているのです。

収穫物を持寄り、神に感謝して分かち合う大切さ。コロナ禍の中、貧しくされた人々がいます。神様の前に分かち合う時としての収穫感謝を覚えたいのです。

 

( 野幌教会牧師 福島 義人 )