【日曜メッセージ】 「 喜怒哀楽 」

Date:2021.10.03

「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛を倒された。」

(マタイによる福音書 21章12節)

 

イエスは神殿の大きな広場にいる。そして、捧げ物を売る商売人や神殿専用のコインに両替するための両替商などを追い出し、机をひっくり返し、椅子を倒した。意外である。イエスは怒る。いつも優しいイエスが突然暴れ出す。つまり、喜怒哀楽の怒が爆発した。

愛と平和を語りかけたイエスだからこそ、その思いに共感して多くの人々がイエスを見習う。だが、これを見習おうものならば、大変なことになる。大事なメッセージは暴れた後に誰がイエスの近くに寄ってきたか、である。聖書では「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄ってきたので」と書かれている。

当時、神殿の境内はそういったしょうがいを持つ人々や事情で家がなく、生活に困窮する人々が集まって、助け合いながら生活していた。ただ、その場所は商売にも適しており、あくどい商売人達が彼らを勝手に追い出して商売をしていたのである。

このことについて、イエスは怒濤のごとく怒る。「いい加減にしなさい。事情をかかえた方々が祈りつつ、支え合いつつ過ごしているこの場所で、その人達を追い出すとは何事か。あなたたちが出て行きなさい。」と怒って暴れた。その怒り方は下手くそだったが、自分のことではなく、他人のために怒っていることはお分かりであろう。それを聞いた身体的、経済的事情をかかえた人々は「イエスさん、わたし達のことを考えてくれて、怒ってくれてありがとう。」と近寄る。

喜びは分かち合えばさらに大きくなる。哀しみを分かち合えば、少しだけ気持ちがほぐれる。楽しみは一人でも出来るし、誰かと共にしか楽しめないこともある。喜怒哀楽の怒りを抜いた喜哀楽は誰かと共有、シェアできる。しかし喜怒哀楽の怒だけは違う。

イエスは「誰かのために怒りなさい」と表現する。誰かがいじめられたり、誰かが自分らしさを奪われたり、誰かが生きていること自体が否定されたりする場面に出くわしたなら、その人のためにあなたなりに怒りなさいと語りかける。もちろん、暴力はいけない。大事なのは、怒りは誰かのための感情ということ。喜怒哀楽が、人間が持つ感情の代表的な4つであることを改めて噛みしめて、日々を過ごしたい。

 

( 札幌手稲教会牧師 原 和人 )