【日曜メッセージ】 「 狭い門か?広い門か? 」

Date:2021.10.17

 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

     (マタイによる福音書7章13~14節)

 

「狭き門」と聞くと皆さんは頭の中に何が浮かび上がりますか。入試や就職のときによく使われているため、楽ではない、難しいなど苦労や困難なことを思うかもしれません。聖書で「狭い門」とは、決して入り難い門ということではありません。それは入り難いよりは、多くの人が入らない門です。

確かに「狭き門」に入るということは苦労や苦難があります。しかし、イエス様は「狭い門から入りなさい」と弟子たちや集まっている人々に語りました。「狭き門」は命に通じる門だと。ここで、門と道は「人の生き方」として語られていました。イエス様は本当に生き生きとした命の豊かな人生を生きるためには、あえて「狭い門」に入り、「細い道」を歩くことが必要だと考えたからです。

皆さんはどちらの門を選択しながらいままで人生の道を歩いてきましたか。聖書には滅びに通じる門と、命に通じる門という二つの門があると教えています。創世記13章1~13節には、アブラハムと甥のロトの話が記されています。アブラハムは農耕に適さない丘陵地帯を選び、ロトは繁栄の低地を選びます。アブラハムが狭き門を選び、ロトは多くの人が通る広い門を選んだと言えます。そして、ロトが選んだ低地は、著しく道徳的に退廃した地域で、後に神が火をもって滅ぼしてしまったと聖書に記されているのです。

皆さん方も、門は狭く、道は細く、でもその道を選択したときには何か自分を生き生きと生かしていることがあった、だからその道を選んできたのではありませんか。そこには苦労や苦難を伴いながらも何かがあったからだと思います。それが入り難い狭い門でも、歩き難い細い道でも、失敗してもやり直しながら歩んできた、歩み続けたい自分を生かす命に通じる道なのです。

皆さんは「狭い門か?広い門か?」どちらに入りますか。

酪農学園の正門は「狭い門」と名づけられています。その「狭き門」に入って、真っすぐに歩いていくと「希望の塔」と名づけられた塔があるのです。

 

( 酪農学園宗教主事 朴 美愛 )