【日曜メッセージ】 「 神の栄光のために 」

Date:2022.02.27

「すべて神の栄光を現わすためにしなさい」

(コリントの信徒への手紙一、10章31節)

 

本日の礼拝の前奏はバッハの「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」でした。卒業記念礼拝をバッハを中心にと、野幌教会オルガニストの米本さんにお願いしました。さて、人生の時間はすぐに終わります。いつも目覚めてと、バッハはマタイ25章13節「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」というイエス様の言葉に重ね作曲します。「音楽の父」も困難の中で「神の栄光の為」と極上の音楽を紡ぎ出し続けます。

2月6日で学園創立者黒澤酉蔵先生が96歳で召され40年経ちます。信仰がなくても黒澤は黒澤として同じ生き方をしたと言う人もいますが、若くし聖書に出会い、祈り支え合う仲間がいなければそれはありません。次に「小フーガト短調」。若き頃の不安や希望に溢れた作品です。バッハは流されないため志しを持つ事を大切にしました。黒澤先生も17歳の時、足尾銅山鉱毒被害救済運動で農民に寄添う田中正造氏の人格に触れ、牢獄に入れられる理不尽な経験をします。しかし、そこで見た聖書が生涯の宝となります。バッハも牢獄での理不尽な経験をします。しかしその経験等を通し「主イエスキリストよ、われ汝に呼ばわる」が生まれます。

さて試練の中、黒澤先生を励ましたのがローマの信徒への手紙5章3~5節「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」でした。この中で、祈りと志しを共にする生涯の友が、沢山の仲間が与えられます。バッハもそうでした。次は「最愛のイエスよ、われらここに集いて」。共に歩む友がいる喜び。皆さんはこの学び舎での貴重な時間をコロナで失いました。その経験は将来の宝となりましょう。家族や学校関係者の祈りがそれを支えます。

最後の後奏は「愛する神にのみ従う者」の曲です。「神の摂理に委ねる者」とも訳せます。願い通りの人生にはなりませんが、神様が私のためになされる事と考えるのを摂理といいます。バッハは「神を信頼する者をお見捨てにならない」を希望にし歩みました。黒澤先生も「神を信じる事は実に難しい」と楽しみ歩まれた。どうか卒業されてゆく皆様の上に、神様の祝福を祈ります。

( 日本基督教団野幌教会牧師 福島 義人 )