【日曜メッセージ】 「 そこに愛はあるのか? 」

Date:2022.06.26

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」

コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章48

 

今日はみなさんと「そこに愛はあるのか?」ということを通して、「いじめ撲滅」について考えていきたいと思います。まず、先に言っておきますが、いじめは絶対にダメです。いじめは許しません。いじめは、いじめる側が絶対的に悪いです。

さて、いじめ撲滅のポイントは「そこに愛はあるのか?」という問いだと私は思っています。脳科学者の中野信子さんは、「いじめのはじまりは、多くは『間違っている人を正す』という気持ちから発生します。」と述べています。「間違っている人を正す」という行為自体は問題ないと私は思いますし、むしろ必要な場面があるとも思います。しかし、その行為に「愛」があるかないかは大きな違いだと思います。

今日の聖書箇所は、聖書の中でも特に「愛」について焦点をあてている箇所として有名です。よく結婚式で新郎新婦に対して読まれる聖書箇所でもあります。これはイエス=キリストの弟子のパウロという人が、キリストの教えについて述べた言葉ですが、「愛」がどれほど大切なものかについて述べています。私たちの行動には愛があるでしょうか。私たちの思いには愛があるでしょうか。そしてこのような考え方は、聖書では「隣人愛」といいます。この聖書の言う「隣人愛」とは、自分の敵となる人でさえも自分の隣人であり、その敵をも愛しなさい、ということです。しかし、私たちにとって、自分の敵を愛することはとても難しいことです。しかし、自分の行動に「愛」があるかどうか、という観点でぜひ考えてみてください。それが、いじめを無くす大きな一歩となると、私は思います。

生徒指導部長 新井 昭雄