【日曜礼拝】「 感謝の祈りと神の奇跡 」

Date:2023.05.21

「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。」

   (ヨハネによる福音書6章11節)

そこには5つのパンと2匹の魚しかなかったのです。それなのに、群衆は満腹して、さらに余りが12の籠いっぱいになった。男だけでも5千人。女や子供を含めたらもっと人がいる場面で、驚くべき奇跡が起こったと聖書は記録しています。パンや魚に秘密があったのではなく、本当の奇跡はイエスによって起こされたのです。

一人の少年が持っていたわずかな食べ物は、イエス・キリストの手に渡されて、神への感謝の祈りがささげられることで、そこにいた人たちを満足させる量へと増やされます。注目したいのは、続く「分け与える」という言葉。イエスの手から分け与えられたものは、誰かの欲求を満たして終わるものではなく、次から次へと分け与えられていく、広がりを含めた祝福の奇跡であったのでした。その食べ物は全ての人を満足させてさらに余るほどに分け与えられ続けたのです。それこそが、イエス・キリストによって感謝がささげられたことで神が起こしてくださった祝福の奇跡であったといえるでしょう。まさに、イエス・キリストが祝福の基なのです。

でも、群衆はその祝福の意味を正しく理解できなかったのです。神の子としてのイエスがここにいることこそが最大の祝福なのに、そこではなく、自分の利益となる部分だけを追い求めてしまうのです。私たちの目は、満足を得られる増えた食べ物に向いていないでしょうか。本当に神が与えようとした祝福は、空腹を満足させることでしょうか。祝福の根幹を見失うと、その神の奇跡は、自分の願望を満足させることで止まってしまいます。私たちは目先の自分の満足を見て終わってはいけないのです。感謝と祝福を分け与えられたイエスは、さらに人に分け与える分を、与えれば与えるほど増えていくものを手渡されていることに気づくよう、聖書を通して私たちに問いかけているのです。あなたの手に届けられているものを、さらに次に分け与えること。私たちも、イエス・キリストから受けた恵みを感謝し、さらに分け与える者となりましょう。

(宗教部長 久保木 崇)