【平和メッセージ】「 平和の源 」

Date:2023.08.27

8月に2回行われた平和礼拝から、メッセージをお送りします。(平和礼拝Ⅱ)

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」 ローマの信徒への手紙5章3~4節

「平和」と聞くと、戦争のない状態を考えるのではないでしょうか。けれども、軍事政権下で自由の利かない社会に暮らす人々は戦争がなくても平和とは言えません。福祉が行き届いていても、心が満たされない人が皆無という社会は聞いたことがありません。皆が平和ということはなかなか難しいものです。

今日読んだ聖書の箇所は、酪農学園では好まれて引用される箇所です。多くの困難を経験してきたのです。その時、この聖書箇所が支えとなりました。目の前の苦難をごまかしたのではなく、確かな希望を胸に、受け止めたのです。イエス・キリストの味わった十字架による苦難の死と復活によって、「死ぬべき罪人(つみびと)も悔い改めるなら新たな命につながる」という、その福音を信じた人々が働いたからです。苦難の状況に耐えながら、その働きによって基礎を築いたのでした。苦労を重ねながら、喜びと平安が心にあったと想像します。

老齢になって施設入居中のわたしの叔父は、大東流合気柔術の免許皆伝師範なのです。叔父とは幼いころに遊び相手になってもらいましたが、師範の活動のことはほとんど知りませんでした。最近になって、合気道のネット動画を見るのですが、合気道の試合はありません。勝敗をつけるのではなく、力のぶつかり合いを逸らして、いかに相手を無力化するかを目指す武術だからだと言われます。白黒つけたがる人間には、受け止めがたいかもしれません。しかし、勝つという価値観に縛られないことは、考えさせられるのではないでしょうか。

イスラエルに伝わるユダヤ教の正典が旧約聖書です。神ヤハウェに選ばれた民の誇りが詰め込まれながら、神から離れ、自分勝手に歩む人間の姿が繰り返し描かれます。それでも神はイスラエルを愛し続けられます。その集大成が新約聖書のイエスが伝えた福音にあります。取るに足らないと思える人間が、そこに存在していることで神の愛を示します。私も、あなたも、その一人です。

(日本基督教団江別教会牧師 榮 忍)