【日曜メッセージ】「 いつ感謝ができるか 」

Date:2023.09.10

「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

(ルカによる福音書17章15~16節)

皆さんはいつ感謝できるのでしょうか?今日の聖書箇所から考えてみましょう。当時のユダヤ社会で神さまからの罰だと考えられて嫌われた「重い皮膚病に患っていた十人」の話です。当時、重い皮膚病に患っているということは、家族、友だち、町や社会など、すべてから離れ、隔離されて、同じ病の人たちだけで集団生活をしなければなりませんでした。それは、病の苦しみ以上にあらゆる面で苦しめられながら生きるということであります。だから、病が癒されるということはすべてが回復される大いなる感謝の出来事なのです。

イエスさまの憐れみによって十人、皆が願い通りに癒されました。どれほど感謝したことでしょうか。当然、癒されたことに感謝しない人はないはずです。でも、癒されたことに感謝するためイエス様の前に戻ってきたのは、たった一人でした。それも、誰よりも不幸に見えたサマリア人だけだったのです。つまり、感謝することがあるから皆が感謝できるということではないのです。なぜ、九人は、感謝する理由は十分なのに感謝できなかったのでしょうか。すべての人が感謝することに気づいているわけではありません。そして、気づいたとしてもそれを表すことができるわけではありません。

感謝とは辞書に、『ありがたく感じて謝意を表すこと』と記しています。すなわち、感謝は「心」と「態度」の問題です。C.H.スポルジョン牧師は、「一本のろうそくの光に感謝する人には星の光を与え、星の光に感謝する人には月の光を与え、月の光に感謝する人には太陽の光を与え、太陽の光に感謝する人には光も必要ない天国を与える。」と語っています。聖書は言うのです。「どんなことにも感謝しなさい。」いつ感謝できるのでしょうか?いつでもです。

学びの日が感謝と喜びの日々でありますように祈ります。

(酪農学園宗教主事 朴 美愛)