「日曜メッセージ」「 心こめ、うたおう 」      (アドヴェントⅢ)

Date:2023.12.17

「・・・詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」

(コロサイの信徒への手紙3章16節)

 讃美歌に限らず、私達が歌うとき、どのような気持ちで歌うべきなのかを改めて考えてみる機会があった。歌うことは生活の一部であり、簡単にできる行為だからこそ、ぜひみんなにも考えてみてほしい。

そもそも、なぜヒトは「うたう」のだろうか。音楽が成立する前、ヒトは「声」を出し、コミュニケーションを取ることを知った。そして、このコミュニケーション時に声の高さに違いがあることを発見した。これが、様々な「音」となった。ヒトは、「同じ音」をあえてみんなで出す喜びを知った。この行為に、ヒトの心を高揚させる効果を発見する。「うた」の始まりであった。ちょうどこの頃、ヒトの手によって「楽器」も発明された。楽器にはドレミ…のような「音」の区別が存在し、ルールが確立した。音階や和音のはじまりである。こうして「音楽」の基礎ができた。

心の高揚は宗教(特にキリスト教)において、私たち民衆の気持ちを一つにするだけでなく、「神を賛美すること」と位置付けられ、礼拝での賛美と深く結びついた。こうした歴史を経て、各地で作曲された曲を集めた讃美歌が9世紀から10世紀頃に編集されはじめた。偉大な作曲家たちも、無名の作曲家たちも、神を賛美する曲を作った。私たちの持っている讃美歌にも数多く残っている。古い曲では12世紀に作られた讃美歌もある。

私達は、キリスト教主義学校として毎週の礼拝を大切にする。その中で、手元にある讃美歌は、礼拝で「うたう」曲を継承しているだけのものではない。神を賛美する曲であると同時に、私たちが一つの気持ちに向かうために、そうなるために、そして、喜びや痛みを共有するために存在していると私は考えている。さて、みなさんは、この讃美歌を、どのような気持ちで「うたう」べきと考えるだろうか?今日も賛美しながら考えてみてほしい。

(音楽科 加藤 啓)