【日曜メッセージ】「 一つとなるために 」
Date:2024.04.21
「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
(エフェソの信徒への手紙4章2~3節)
私たちはこの学校に、神によって呼び集められ、招かれて今ここに集まって共に学んでいます。その私たちがどうすることで神に喜ばれるのか、その実践的な在り方を今日の聖書は教えています。
第一に求められているのが「謙遜」です。私たちが自分のことだけ考え、自分だけを基準に考え始めると、それは人間関係に大きな亀裂を生みだす「傲慢」となります。私たちはまず、謙遜をもって相手と関わることを大切にしたいものです。続いて「柔和」と「寛容」の勧めがあります。良く似た意味を持つ言葉です。柔和はあなたの相手に対する能動的な姿勢、寛容はあなたが相手を受け入れる受動的な姿勢です。これら二つが両立するのは、謙遜の故なのです。神によってその心があなたの中には与えられている、聖書はそれを教え、活かすことを求めるのです。
そこにこそ愛が実現します。まず神の愛があり、その愛のうちに私たちは互いに愛し合うことができる。愛は全てに耐える力です。ある牧師は、「愛とは忍耐×時間です」と言いました。それはひと時だけのことではなく、継続されていくものなのです。愛によって互いの理解が深まり、和解が実現し、平和のきずなが実現され続けるのです。そこに実現する一致は、外に見える体においても、内なるものとしての霊においても一つであることを指しています。そこに神が働いており、神がおられてこそ、その一致は実現するのです。
私たちは神によって一つとされています。あらゆることが神によって一つとされていることを聖書は繰り返し宣言します。その全てを実現される神が、私たちと深く関わってくださるのです。それゆえに私たちはお互いを大切にする思いを強く持つのです。神は全てを上から覆い包み、すべてを貫いて堅くつなげ、全ての内に共におられる方なのです。神はその中に私たちを、目的をもって招き入れられたのです。神の招きに応えて生きる生き方とは何なのか、若き日にそのことを追い求めていこうではありませんか。
(宗教部長 久保木 崇)