【日曜メッセージ】「 十字架 」
Date:2025.02.09
「そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒された」 (ペトロの手紙一 2章24節)
明治初期のまだ人口も少ない頃から札幌にも処刑場がありましたが、十字架はイエス様の時代、ローマ帝国の見せしめの残酷な処刑道具でした。ですから、十字架がキリスト教のシンボルになるのは、主の十字架から何百年も後です。神ご自身が、アダムとエバに遡る人の本質的な罪を赦すために、自ら犠牲となられたのがキリストの十字架の出来事。だから教会は十字架を神の愛と赦し、救いの印としてきました。刑務所で刑期を終え社会的責任を果たしても、魂に刻まれた罪の思いは生涯その人を苦しめます。新しく生きるため、神父や牧師はキリストに倣い、魂への赦しの宣言の役割を担ってきました。
国際ボランティア学会は、その創立者である草地賢一牧師が、30年前の阪神淡路大震災や世界各地の困難な場所でボランティア活動をした経験から、学術的な研究の必要性を覚え設立しました。或る青年が草地牧師とカンボジアを訪れ「キリング・フィールド」に連れて行かれます。50年前、ポル・ポト政権下で国民1/4の180万人が虐殺された痕跡です。頭蓋骨で作られた高い塔がそびえ立ち、怖くて目を背けると草地牧師は静かに言うのです。「よく見ておいた方がいい。神はこういう場所におられるんだ」と。神様は立派な建物や煌びやかな神殿でなく、人間の辛さや涙、苦難の沢山詰まった場所にこそ顕れる。それが後に牧師となる青年の「原点」となるのでした。
もし十字架を見て、美しいアクセサリーだけではなく、その向こうに磔(はりつけ)の傷ついたキリストが見えてくれば、学校が大切にしてきたキリスト教教育の一端が見えるかもしれません。皆様の上に十字架の主の祝福を祈ります。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」 (ルカによる福音書13章18~19節)
(日本基督教団野幌教会牧師 福島 義人)