【日曜メッセージ】「わたしがそうなのです」(奨励:立教大学・西原廉太総長)

Date:2025.07.06

「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。

(ヨハネによる福音書9章9節)

 みなさんの学校、とわの森三愛高等学校は、建学の精神として、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」という「三愛主義」を大切にされておられます。「神を愛し、人を愛す」というのは、マタイによる福音書22章37~39節に記されました、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」という、イエス様が語られた掟、黄金律とも言われる言葉から導かれたものです。

 この「神を愛し、人を愛す」ことは、とわの森三愛のみならず、立教はじめ、ほとんどすべてのキリスト教学校が共通に規範としているものです。とわの森三愛高校は、その「神を愛し、人を愛す」ことに加え、「土を愛す」と謳われていることに、私は大変感銘を受けるのです。それは、とわの森三愛のもう一つの創立時から受け継がれる、ゆるぎない精神である、「健土健民」という言葉に深く刻まれている思いです。「健土」とは、生命力にあふれた健康な土を意味し、環境に配慮して良い土をつくることであり、「健民」とは、その良い土から安全・安心な食料を生産し、それらを食べて健やかな人間が育つということなのですが、これは、まさしく、地球環境問題のキーワードとも言える「循環と共生」の思想にダイレクトにつながるものです。

 私が総長、学長を務めております立教大学が、来年の4月に新たに「環境学部」を創設するにあたって、環境学の日本における最重要大学である酪農学園大学と、この度、環境学分野における相互協力・連携に関する協定を締結させていただき、多くのことを酪農学園大学から学ばせていただくことになりました。みなさんは、そうした非常に貴重な理念と実践をされている学園で学んでおられるのだということを、ぜひ誇りとしていただきたいのです。

 さて、今日開かれた聖書に目を向けましょう。ひとりの目の見えない人の目が、イエス様によって見えるようにされる奇跡のお話です。当時、目が見えないことは、社会から疎外され、差別されることにつながりました。本人や親の罪のせいだとする差別があったのです。イエスの弟子たちすらそのような価値観から自由ではなかったことを聖書は記しています。しかし、イエス様は「そうではない」と言って、彼に近寄り、その目に触れて、そしてシロアムの池に行って洗うようにと言われたのです。彼はイエス様が言われたとおりにして目が見えるようになって帰ってきます。道の片隅に押しやられてきた者が、道の真ん中を通って人々のところに帰ってくる。それを見て町の人々はパニックとなりました。あそこにいたあの人だという者もいれば、いや似ているだけだという人もいました。しかし、目が見えるようになった彼は「わたしがそうなのです」といったのです。それまでは誰も話しかけず、触れようともしなかった人々がそれを聞いて驚いたのです。

 この言葉は、それまで人間の尊厳を奪われ、誰からも必要とされていないと思っていた自己の存在と尊厳を回復する宣言となりました。イエス様の福音の本質は、まさにここにあるのです。目が見えるようになることや足が治ることを超えて、それまで奪われ破られてきたその人の尊厳と存在の回復を実現することに最も重要な意味があったのです。「わたしがそうなのです。」 ギリシャ語で「エゴー エイミ」と表記されるこの言葉は、英語で言えば「I am.」、旧約聖書において神がご自分を名乗るときに使われた言葉と同じなのです(出エジプト記3章14節)。つまり期せずして彼は、神の名前を高らかに呼び求めることができる世界、誰の尊厳も奪われことのない神の国を実現することにつながる宣言をしたのでした。

 人の尊厳が取り戻されることの大切さという点において、日本における一つの証言を最後に紹介しましょう。ハンセン病訴訟において原告であられた、日野弘毅さんが証言された言葉です。この病気のために不当に隔離されて、差別を受け、家族までもがその苦しみを一生背負ってきた、その思いを語る日野さんの言葉はとても重いものでした。その訴訟において勝訴した時に、日野さんは、「今、太陽が輝いた。私はうつむかないでいい。市民のみなさんと光のなかを胸を張って歩ける」と表明されたのでした。まさにこの言葉に、エゴー エイミが語られている、尊厳の回復があらわされているのです。

 そこに神の名がある。エゴー エイミ(I am.)、皆さんの人生も、嵐にもまれることも、人間関係に悩むときもあるでしょう。しかし、どんなときにもうつむかなくてよいと神は励ましてくださるのです。皆さん一人一人がエゴー エイミといって、神の名を呼び求めることを神は待っておられるのです。そして、この意味を知る皆さんには、道の端でうずくまっている人のことに気づくことのできる人になっていただきたいと思うのです。とわの森三愛高等学校の皆さんお一人お一人の学びと生活、歩みを神様が守り励ましてくださいますように。

(立教大学総長 西原 廉太)