【日曜メッセージ】「平和を実現する人々」(平和礼拝Ⅰ)
Date:2025.08.31
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」 (イザヤ書2章4節)
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」 (マタイによる福音書5章9節)
戦後80年の節目の時を迎えています。80年前、私たちのこの日本は、あの戦争を深く反省して、決して二度と戦争はしない、戦争のための軍備も持たないと、日本国憲法に定めました。しかし、それに反して軍備は強化されています。ある人たちは平和のために軍備は必要だと言いますが、本当にそうでしょうか。軍事力というのは力づくで物事を解決するためのものです。力づくで一方的に物事を決められることはおかしいと思いませんか。力の強いものが、力の弱い者を従わせる、その最たるものが軍事力ということなのです。力による支配ではなく、意見の違う者が出会い、話し合い、分かりあって、共に生きていく、それが私たち人間に与えられた尊厳なのだと思うのです。
以前、私は、米軍基地のある岩国で、牧師として、幼稚園の園長として21年間働かせていただきました。米兵からの被害についての相談を受けることがありました。その対応のために各所に相談に回りましたが、どこも門前払い。それが米軍基地問題と向き合うこととなったきっかけでした。おぞましく、痛ましい事件が何度も起こり、被害者は救済されず、加害者米兵は無罪となることがいかに多いことか。基地の町に住む人々は、このような不安と向き合って生きていかなければならない現実があるのです。さらに我慢ならないのは、この私たちの町から飛び立った戦闘機や米兵たちが、何の罪もない人々を殺害している、自分たちの愛する町が戦争の拠点になっていることに我慢がならない思いがありました。自分の一番大切な人が、その命や生活が一瞬にして奪われてしまう、それが戦争の現実なのです。
イザヤ書の言葉は、国連のイザヤの壁に掲げられている言葉です。戦いのための道具、人殺しの道具、現代であれば近代兵器がそれでしょう。それらを命を育むための道具にしようとイザヤは幻を与えられたのです。世界中では悲惨な災害、様々な事柄が起こる中で、殺し合っている場合でしょうか。協力し合って、助け合って、命を守り、育み合う世界にしたいと思います。今でも、毎年軍事費が膨らんでいます。世界で1日に1兆円以上が軍事費として使われているのです。マタイによる福音書のイエス様の言葉は、私たちに伝えています。考えや思いにとどまるのではなく、実現できる人になりなさいと言っているのです。この言葉は、時の実力者や有力者に語られたのではありません。力のない、弱く小さな人々に、真の平和を実現する小さな力として、その小さな祈りや力が必要なのだと言ってくださっているのです。沖縄慰霊の日に小学1年生が読んだ詩が多くの人に感動と勇気を与えたことをご存じですか。神様から与えられている命を歩む私たちの日常にこそ、平和があるのではないでしょうか。やがて100倍、1000倍となる小さな平和の種をまき続けていきましょう。
(日本基督教団岩見沢教会牧師 大川 清)