【日曜メッセージ】「できる限りの一歩」(平和礼拝Ⅱ)
Date:2025.09.14
「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」
(ローマの信徒への手紙12章17・18節)
平安(ピーンアン)。台湾語で「神が平安を与えてくださるように、神と私たち一人ひとりの間に、平和な関係がもたらされますように」という意味です。私の出身地台湾は、約2,300万人が住む人口密度の高い多民族(漢民族、客家ハッカ族、外省人ガイショウジン、16の原住民族、新住民)国家です。私はその16の民族のうちの布農(ブヌン)という民族の出身です。ブヌンは人、人間という意味です。
17 世紀から、台湾は外国の力によって植民地となることを強いられ、民族、文化、社会、政治の間で対立と統合を経験してきました。しかし、神の愛によって、この島の人々は平和に暮らしています。台湾の人々は進んで人をもてなし、互いに助けあい、喜びを与えあっています。台湾人が何世代にもわたって安心して、自由に暮らせる国を目指したいのです。平和を求めることを諦めないことは大切な事だと思います。
聖書の中にあるパウロという人は「すべての人と平和に暮らしなさい。」とは言わずに「できれば(できる限り)」と言いました。私たちは誰とでも完璧に仲良くできるわけではありませんね。相手の気持ちや態度を無理に変えることもできませんね。でも、自分にできる努力は必ずあるのです。例えば、相手を傷つける言葉を避けること。謝るべき時には素直に謝ること。悪口や陰口に加わらないこと。それは小さな一歩かもしれませんが、平和をつくる大切な行動なんです。
多くの場合は、私たちは「相手が変わってくれたら平和になれる」と考えます。でも、聖書は「まずあなたから」と呼びかけていますよ。イエスは「平和を実現する人々は、幸いである。(新共同訳聖書)」或いは「平和をつくる者は幸いです(新改訳聖書)」と教えています。(マタイ5:9)平和をつくるには、「待つ」のではなく、自分から歩み寄る勇気が求められています。
(日本基督教団北海教区宣教師 ディヴァン・スクルマン)