【日曜メッセージ】「死の壁を打ち壊して」(収穫感謝礼拝)
Date:2025.09.28
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」
(ヨハネによる福音書11章25節)
高校1年の時に母が急死し、2年の時に父が急死した。死は、私の鼻先に壁となって現れ、壁はいつも笑っていた。高校にはほとんど行かなくなった。家もなくなり、下宿先で一人生きていた。生きる基準を求めて高校時代は論語にすがって生きていた。その論語が、後に聖書を読むきっかけとなった。
親戚の援助で高校だけは卒業できたが、その後の職業は肉体労働ばかりで、学歴による差別は歴然としていた。20種類以上の仕事に就いたが、大学卒業した人との職種や、給料の差はとても大きいものだった。現実の厳しさを徹底的に教えられた。
それでも30歳代から勤めたタクシー運転手の仕事は、初めて友達もでき、楽しい仕事であった。37歳の時に見た火葬場の煙から、自分もいつか死に、煙となって空に消えて終わるのか、それが今日かも知れないと思うと、いたたまれない気持ちになった。このまま何も知らずに死ぬのは嫌だとの思いから大学進学を思い立ち、2年後に入学することができた。
またその当時、親の顔を思い出せない自分に愕然とし、色々な親戚に問い合わせてやっと1枚の写真をもらい、ようやく両親の顔を思い出すことができ、ほっとした。
親にとり我が子は最大の収穫物ではないだろうか。その我が子に、親は喜びを持って名前を付ける。親の喜び、期待、希望が詰まったものが私たちの名前である。しかし、両親を早くに失った者には、自分に付けられた名前の由来をもはや永遠に聞くことが出来ない。親が生きている内に、聞くべきことは聞いておいたほうが良い。
いつも私の鼻先で笑っている「死の壁」を壊してくれたのは、イエスであった。その人はこう言った。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」――。
(日本基督教団江別教会伝道師 田村 敏紀)