【日曜メッセージ】「神は見ておられる」
Date:2025.10.12
右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。 (マタイによる福音書6章3・4節)
後期が始まりました。新執行部が就任し、クラスの委員、係も新たに選ばれ、部活動でも、寮生活でも、節目を経て、新たなスタートを意識する時です。皆さんのこれからの学校生活が、内容の濃いより充実した日々となるように祈ります。
新しく変わっていくものがある一方で、変わることなく続くものもあります。何よりも、私たちが一緒に読み続けている聖書も、この学校の建学の精神も変わることなく続いていくものです。「神を愛し、人を愛し、土を愛す」ことは、成長と共に実践が積み上げられながら続いていくのです。1年生は来週に「愛の実践活動」として地域の施設を訪問してのボランティアの学びの機会がやってきます。積み上げが新たに始まるボランティアは、2・3年生も経験した取り組みです。その本質は相手のために自分のできることを尽くすこと。決してそれは自分の誉れや自分の利益のための行いではないのです。誰かに伝えるためでもありません。すべてを相手のために実践するのです。
このことを実現するために必要な土台は何でしょうか。聖書はそれが「愛」であることを説きます。真実の愛は時に自分の持てるものから犠牲を払うこともあります。時間を割き、体力も知力も、熱意も、自分のこれまでの経験も、あらゆるものを相手のために準備し、相手のために用いるのです。時には経済的に相手を支えることもあります。私たちは先日、平和献金でその実践に全校生徒で取り組みました。私たちがささげた以上の価値をもって、この献金は世界の人々のために用いられるのです。
持てる者のすべてを与えつくす愛を実践し、完成された方がおられます。それはイエス・キリスト。私たちの救いのために、十字架にかかってその命まで犠牲にされたお方です。何の見返りも求めないキリストの愛の姿がわたしたちの模範となるのです。その愛の中に私たちは生かされています。私たちがその命をどう生きるかを神はご覧になっています。あなたに与えられた愛を、誰かのために生かすことを神は喜び、私たちの喜びも増し加えられていくのです。神の祝福が、実践を続ける後期の歩みの上に豊かにありますように。
(宗教主任 久保木 崇)