【日曜メッセージ】「 良い実を結ぶのは良い木 」

Date:2025.10.26

「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」

(ルカによる福音書6章45節)

 自然界が季節の変化を通して、この一年の感謝の思いを私たちに与えてくれています。私たちは、自分の人生がどのような成長を経て、どのような実をつけていくのかを考えていく必要があります。社会も変化し、私たちの歴史の新たな一ページが開かれようとしているこの時、時代が善いものとなるために、私たち自身の今の在り方が、責任と共に問われてもいるのです。

 ところで、皆さんは朱色の柿が木にたくさんなっているのを見たことがありますか(北海道ではなかなか見られないかも…)。美しく実っているその柿の実ですが、「甘柿」と「渋柿」があることを皆さんはご存じですね。甘柿の木には甘柿がなり、渋柿の木には渋柿がなる。同じ木に甘柿と渋柿が混ざって実ることはありません。その木の性質がその実の性質を生み出しているからです。その二つの性質は、外見で区別するのはとても難しいのです。食べてみた時に(私も誰も見向きもしない、どちらかわからない柿の実を仲間と一緒に実食して確認したことがあります・・・その結果は・・・)、その本当の性質が分かるのです。

 聖書は、良い木によい実が結実し、悪い木に悪い実がなることを示して、私たちに問いかけます。それは私たちの「人生の実」に対する問い、つまり私たちの心の在り方を問いかけているのです。神によって造られた全ての被造物は、神をほめたたえ、感謝して生きる存在であるべきはずであったのに、私たちの心の中に悪が入り込み、私たちを間違った方向へと導くのです。神に背く罪の性質のある人間は、その誘惑に負けて、神に対して間違いを重ねてしまうことを聖書は警告しているのです。

 しかし、神はその私たちを命がけで救い、愛と平和と喜びの内に生きる存在としてくださいました。神の愛は私たちを良い実を結ぶ木として育てようとするのです。私たちが結ぶ実、それは「生き方」のことです。明治時代に札幌農学校で学んだ北海道にもゆかりのクリスチャン・内村鑑三は、若者たちを前にして、生き方こそが『後世への最大遺物』であるとメッセージしました(この講演記録は岩波文庫に収蔵されています)。私たちはどう生きるのか。その答えを求めて、三愛主義と健土健民の学びと探究を続けましょう。

(宗教主任 久保木 崇)