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学校礼拝(第38回)

2018.01.29BLOG

【今週の聖句】


「 そして更に言われた。『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。』 」


( マルコによる福音書2章27節 )


奨 励 題  『 路上のルール 』


奨 励 者  非常勤講師  原 和人


どこの学校にも、どんな集団にも、いかなるグループにもルール(規則)があります。それを守れば、集団の秩序が守られるという理由でルールを自ら守り、あるいは他人にも守らせようとします。けれども、それらすべてが本当に必要なルールでしょうか。よく分からない、どうしてそこまで…、これなんか意味不明やで~、というルールもあります。


イエスの時代は今よりも多くの社会的なルールがありました。特に「安息日(神も休む日)」のルールは厳しく、仕事や遠出などは厳禁。今日の聖書箇所では「麦の穂を摘む」とあり、これも安息日では厳禁でした。ただ、イエスも弟子達もこれについては「なんで?」と以前から考えていたようです。取り敢えずは守っていたものの、それを守る意味が分からない。せっかくおなかが減っている人のために、畑の所有者が残しておいてくれた麦の穂を食べないのは、失礼だろうとイエスと弟子達は考えたのです。


それを注意した人々は、何が何でもルールを守らなければならない集団。そこからイエスと「なにがなんでも」集団の論争が始まり、最後はイエスと弟子達が論破します。


その後、イエスと弟子達は自分たちが今までの経験を踏まえた上で、自分たちのルールを作ります。これだけは人生の中で大事だと思うこと、人と共に生きるためにこれは必要だと感じたことをルールにして歩みました。私はこのイエスと弟子達のルールを「路上のルール」と勝手に呼んでいます。与えられたルールではなく、自分で守るべきだと作り出し、これこそが私達が生きていく上で必要だと信じたルール。自分が考えれば、どんな時もそのルールを破ることは出来ない…これも大事なことです。


さぁ、あなたも聖書や校則や家庭のルールをヒントに「路上のルール」を作ってみては?





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