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学校礼拝(第18回)

2016.08.22BLOG

【今週の聖句】


主人は言った。


『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さなことに忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』     


                              『 ルカによる福音書 19章17節 』


 


奨 励 題  『 生きろ』


奨 励 者  非常勤講師  原 和人


 


 今日のたとえ話では、主人から10人の家来に一人当たり「1ムナ(約百万円)」ずつ与えられる。どう使うかは各自の自由だが、商売をするという縛りがある。それでも、ちょっとした可能性を生むものではないか。彼らは早速「1ムナ」を使って商売を始める。主人が帰ってきた時、ある家来は十ムナを儲けたと、鼻高々。主人はそれを褒めて出世させる。五ムナを稼いだ家来も出世する。だが、中には、何も使わなかった家来がいて、そのことを主人に厳しく叱られる。


 この話のポイントは「自分に与えられている可能性を活用する」という所にある。わたし達は時折、人生の意味とは?何のために生きている?という疑問に遭うが明確な答えは出ない。明確な答えが出ない以上、それを探し求めて歩み続けるしかない。その時に大事に心にもっておきたいのは「自分に与えられている可能性を活用する」ことである。わたし達には、どんな人であっても、そしてどんなに小さくても、何らかの可能性が神から与えられている。それを生かすことが、私達の人生の意味である。


 十年ほど前の話だが、痛ましい、しかし心を打たれる事件があった。或る夏、山梨県の中学校の校舎の屋上から暴走族のリーダーである16歳の少年と少女が飛び降り、少年だけが死んだ。警察は、シンナーの幻覚症状による衝動的自殺と断定した。だが調べてみると、意外なことが分かったのである。その事実から言えることは、1秒にも足りない短い時間を、この極小の可能性を、彼は生かしたということ。わたし達は何もしないのではなく、小さな可能性を信じて、その時その時で最善の方法を行なうべきである。


 自分が誰かを支える可能性、誰かに支えられる可能性、そして何かが出来る可能性が残っている。信じて生きよう。





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